大阪高等裁判所 昭和42年(ネ)790号 判決 1969年7月31日
第七六〇号事件控訴人兼第七九〇号事件被控訴人
(第一審原告)
馬場亮
みぎ代理人
松本健男
第七六〇号事件被控訴人兼第七九〇号事件控訴人
(第一審被告)
大阪ハンカチーフ株式会社
みぎ代理人
西本剛
中島英一
船越孜
主文
一 第七六〇号事件について、
原判決主文第二項を取り消し、両第一項をつぎのとおりに変更する。
(一) 第一審被告は第一審原告に対して金四七万八、二九九円およびこれに対する昭和四一年二月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 第一審原告のその余の請求を棄却する。
二 第七九〇号事件について、
第一審被告の控訴を棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審を通じて二分し、その一を第一審原告の他の一を第一審被告の各負担とする。
四 この裁判の一(一)項は仮に執行することができる。
事実《略》
理由
本件の争点についての当裁判所の判断は、つぎのとおりの追加、変更および削除をするほか、原判決の理由欄の記載(但し原判決添付の別紙損害表は本判決の別紙損害賠償額計算表のとおりに改める。)と同一であるのでみぎ記載を引用する。
一、損害について、
(一)、原判決七枚目(理由欄二枚目)裏二行目の「現在に至るまで」との記載から同四行目の末尾までをつぎのとおりに変更する。
「原告が鍼炙師としての業務に従事することができるようになつた昭和四三年四月一日までの間一ケ月三万円の割合による収入を失つた。
(3)、そうすると、原告は原告主張の金一〇二万円の得べかりし利益を失つたものと言うことができる。」
(二)、同枚目裏一一行目に「通う身となつた。」とあるのを「通う身となり、」と改め、その次に、「昭和四三年四月から鍼炙師としての父の経営する漢方院の治療部に勤務しているが、一日六時間以上の勤務は困難である。」と追加し、
同八枚目(理由欄三枚目)表二行目の「右以下である」との記載から同行目の末尾までを、「原告主張の慰謝料額は肯認できる。」と改める。
(三)、同枚目表五行目に「各供述」とある次に句点を置き、その次に、「当審における原告本人の第一回尋問の結果」と追加する。
二、運行者免責の抗弁について、
(一)、事故の具体的態様について、
原判決八枚目(理由欄三枚目)裏一行目に「約23.5米」とあるのを「約四〇メートル」と改め、同三行目から五行目にかけて、「原告が交叉点に進入することはないとし、自車を自転車より先に通過し了えるものと思い、」とあるのを、「原告が交叉点に進入することはあり得ないことであるし、たとえ進入して来ても自車の方が原告自転車よりも先に交叉点を通過し終るものと思つて」と改め、同一二行目に「約四〇キロであつた。」とあるのを、「約四〇キロメートルであつて、原告自転車が本件交叉点に進入した時点における同交叉点南北行交通信号は黄であつた。」と改める。
同枚目裏一二行目末尾の次に、行を変えて、つぎのとおり追加する。
「宮本が原告自転車を始めて認めた時点におけるみぎ自転車の位置を当時における事故車の位置から約四〇メートルと認める理由はつぎのとおりである。
すなわち、当審における鑑定の結果によれば、自動車の運転者が本件事故車と同種の自動車を運転して本件交叉点の中央附近まで北進し、同所で右折東進すべく一旦停止して対向車(南行車)の通過し終るのを待ち(この時点における自動車の前面の位置を(1)点とする)、同地点を発進右折して(1)点から5.6メートル距つた(2)点まで自動車の前面が来たときに、本件交叉点東側の東西道路上の南北横断歩道を児童が横断通行中であるのを認めたとの想定の下に急停車の措置をとり、自動車の前面がみぎ横断歩道に僅かにはみ出た位置(この時点における自動車の前面の位置を(3)点とする。)に自動車が停止する場合に、みぎ自動車が(1)点を発進して後(3)点で停止するまでに要する時間は平均6.4秒であるところ、前認定のように、宮本が原告自転車を認めたのは、(1)点を発進して後のことであつたと言うのであるから、発進直後には走行距離の割合いに時間の経過が長いので、みぎ宮本が原告自転車を認めた時点は(1)点発進後2.5秒経過した頃と認めることができる。そうすると、その時点から四秒足らずを経過した頃事故車が(3)点で停止した瞬間に、原告自転車が事故車に衝突したことになり、時速四〇キロメートル、秒速11.11メートルの自転車が四秒足らずの時間で走行する距離は計数上約四〇メートルとなるわけである。<証拠>には、みぎ時点における原告の自転車の位置は当時の事故車の位置から23.5メートルである旨の記載があり、原審証人蝶野昌弘の証言にもみぎ距離が2.30メートルであつた旨の供述があるけれども、いずれも、前認定の事故発生の具体的態様および当審における鑑定の結果と比較して合理性を欠き、措信することができない。そのほかには、みぎ鑑定を覆すに足りる証拠はない。
原告自転車が本件交叉点内に進入した時点において、同交叉点の南北交通信号が黄であつたと認むる理由はつぎのとおりである。
すなわち、当審における検証の結果によると、みぎ検証当時における本件交叉点南北行交通信号の持続時間は、青点滅が2.5秒間、黄が五秒間であつたから、本件事故発生当時においてもほぼ同様の持続時間であつたと認めるのが相当であるところ、前認定の本件事故発生の具体的態様によると、宮本は南北行交通信号が青点滅を開始すると直ちに(1)点を発進し、その後約6.4秒後に本件衝突事故が発生したところ、当時における原告自転車の速度は時速四〇キロメートルであつたのであるから原告自転車が本件交叉点内に進入してから衝突するまでの間にはなに程の時間も要せず、原告車が本件交叉点に進入した時点は南北行信号が青点滅を開始して後約六秒位であつて、同信号が黄に変化した後で、赤に変化する前であつたことを認めることができる。みぎ認定に反する原審証人浜口隆治、同森沢優、同坂梨公威および原、当審証人蝶野昌弘の各証言は措信できない。そのほかにはみぎ認定を覆すに足りる証拠はない。」
(二)、事故車運転者宮本の過失の有無について、
原判決九枚目表一行目冒頭から同枚目裏八行目末尾までを、つぎのとおりに変更する。
「事故車の運転車宮本の無過失は認められない。すなわち、前認定の本件事故発生の具体的態様によると、原告自転車が本件交叉点路面の北端に達した時点には、本件事故車が同交叉点の中央附近で右折を終り南行車の進路を遮断する位置に所在していたし、且つ同交叉点の南北行交通信号は青点滅から既に黄に変わつていたのであるから、交通法規上(道路交通法三七条二項、道路交通法施行令二条一項の表の注意、黄色の燈火等の項二号参照)はもちろん、信義則上も、当時原告自転車は本件交叉点内に進入してはならない関係にあつたわけであるけれども、事故車の運転者宮本は、前認定のように、前記(1)点を発進右折を開始した直後原告が約四〇メートル北方から本件交叉点に向つて競輪用自転車を時速四〇キロメートルで、しかも顔を下に向けた姿勢で走らせて来つつあるのを目撃したのであるから、みぎ自転車の進路を遮断する方向に向つて本件事故車を右折進行させようとしていた宮本としては、一時事故車の進行を停止し、原告自転車の通過を待つてあらためて発進すべきであつたと言うことができる。けたし、宮本は、原告を目撃した際に、このような場合における自動車運転者として通常の注意をすれば、自転車上における原告の姿勢や原告自転車の速度から考えて、当然に原告が前方を全然注意しないで走行を続けそのために交通法規を無視して交叉点内に進入して来るおそれもあることを予見することができるはずであつて、宮本が自転車上の原告の姿勢や原告自転車の速度や原告自転車と事故車との距離を目撃認識しながら、原告が交通法規に反する運転をするはずはないと軽信したのは、自動車運転者としての注意義務を尽したものと言うことはできない。したがつて、本件の場合は、いわゆる信頼の原則の法理の適用をする余地がないものといわなければならない。そして、前記本件事故発生の具体的態様に徴し、宮本が原告を目撃した際に、原告の行動から原告が交通法規を無視した行動をする危険があることを察知し、直ちに事故車の右折進行を中止したならば、本件事故発生の防止は可能であつたと認められるから、宮本の前記注意義務違反は本件事故発生の一因であると言うことができる。
被告会社代理人は、本件事故発生時点頃本件交叉点東側の東西道路の南北横断歩道上を児童が歩行通過しなければ、本件事故車は事故発生時前に交叉点外に脱出していて本件事故は発生しなかつたはずであるから、宮本が原告自転車の交叉点到達前に事故車の交叉点外脱出が可能であると信じて事故車を右折進行した点に過失はないと主張するが、交叉点において右折しようとする自動車の運転者は、従前の進路方向にある対向車の行動のほか、右折後の進路殊にみぎ進路の横断歩道上に進入して来る歩行者の行動に注意し、これら両方面の車輛および歩行者の行動を総合判断して、事故の発生を防止するように自車の運転をすべきものであるから、宮本が、事故車が前記(2)点に到達するまで、前記児童の行動に気付かなかつたのは、このような場合における自動車運転者としての注意義務を尽したものと言うことはできない。
以上述べたところを総合すると、本件事故車の運転者宮本の無過失が証明されたと言うことはできない。」
(三)、運行者免責の抗弁の判断に用いた証拠について、
原判決九枚目裏一〇行目の「証人」との記載の前に、「原審における」と追加し、同一一行目の「各一部」との記載の次に句点を置き、その次に、「当審証人蝶野昌弘の証言の一部、当審における検証および鑑定の各結果」と追加する。
三、原告の過失および過失相殺について、
原判決一〇枚目表一一行目に「負担割合は原告七対被告三」とあるのを、「負担割合は原告八五パーセント対被告会社一五パーセント」と改め、
同枚目裏二行目に「各供述」とある次に、句点を置き、その次に、「当審証人蝶野昌弘の証言の一部、当審における検証および鑑定の各結果」と追加する。
四、損害賠償額について
以上判示したとおり、本件事故により原告には原告主張の金三一二万八、六五八円相当の損害が発生したところ、みぎ損害額のうち被告会社の負担すべき額は一五パーセントに当る金四七万八、二九九円となるわけで、その詳細は別紙損害賠償額計算表記載のとおりである。
五、結論
原判決一〇枚目裏四行目冒頭から九行目までを削除し、その代りにつぎのとおり追加する。
「以上の理由により、原告の被告会社に対する本訴請求のうち、本件交通事故による損害賠償金四七万八、二九九円およびこれに対するみぎ損害発生後であることが明らかな昭和四一年二月一日(訴状送達の日の翌日)以降完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分は相当であるので、これを認容すべく、その余の部分は失当として棄却すべきものである。」
よつて第七六〇号事件について原判決中原告敗訴部分(主文第二項)を取り消し、原判決主文第一項を主文一(一)(二)のとおりに変更し、第七九〇号事件について被告の控訴を棄却し、民訴法三八四条、三八六条、九六条、九二条、八九条、一九六条を適用し主文のとおり判決する。(三上修 長瀬清澄 古崎慶長)
別紙・
損害賠償額計算表
(単位 円)
原告の主張
当裁判所の認定
損害額
請求額
損害額
被告会社負担額
A 療養費
六八、六五八
六八、六五八
六八、六五八
一〇、二九九
B 逸失利益
一、〇二〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
一、〇二〇、〇〇〇
一五三、〇〇〇
C 慰謝料
二、一〇〇、〇〇〇
九三一、三四二
二、一〇〇、〇〇〇
三一五、〇〇〇
合計
三、一二八、六五八
一、五〇〇、〇〇〇
三、一二八、六五八
四七八、二九九
<参考>第一審判決(大阪地裁昭和四一年(ワ)第一〇九号、損害賠償請求事件、同四二年四月二六日第一五民事部判決)
主文
一、被告は原告に対し金四五万円およびこれに対する昭和四一年二月一日より右完済まで年五分の金員を支払え。
二、原告その余の請求を棄却する。
三、訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の、各負担とする。
四、第一項に限り仮に執行することができる。
五、被告が原告に対して金四〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。
事実
第一、原告の申立
「被告は原告に対し金一五〇万円およびこれに対する昭和四一年二月一日より右完済まで年五分の金員を支払え。」
第二、争いない事実
一、本件傷害交通事故の発生
発生時 昭和三八年二月一日午後〇時以降二時三〇分まで
発生地 大阪市旭区森小路五丁目国道一号線上、交叉点
事故車 普通貨物自動車ライトバン大四ひ七一四六号
運転者 宮本武広
態様 原告が競輪用自転車を運転して前記国道を直進して交叉点に入りなお直進中、反対方向より同交叉点に進入して右折していた事故車と衝突し、よつて原告は傷害を蒙つた。
<中略>
五、本訴請求
損害Aの全額、Bのうち七二万円、Cのうち七一万一、三四二円の合計一五〇万円とこれに対する昭和四一年二月一日より右完済まで年五分の遅延損害金。
第四、証拠<略>
理由
第五、争点についての判断(認定証拠は各項目末尾のかつこ<略>)
三、損害
(一) 原告は、本件事故により、頭部外傷第Ⅱ型、右鎖骨骨折、左自然気胸の傷害をうけ次のごとき加療を要した。
(イ) 関西医大病院入院加療 三八・二・一七―三・五
(ロ) 〃 通院〃 〃三・六より一ケ月
(ハ) 北野病院通院加療 三九・三・五―五・二二
(ニ) 京大〃 〃 三九・一一・二〇―四〇・一・二三
右のうち(イ)(ロ)は鎖骨骨折左自然気胸の治療、(ハ)(ニ)は頭部外傷および頭部外傷後遺症の治療のためであり、入通院しない間は自宅療養を続けた。
(二) 後遺症
頭部外傷後遺症として大後頭神経症候群が残り、後頭部頭重、前頭部痛、耳鳴難聴の症状が固定し、また腕のしびれやふるえおよび疲れた際の眼のかすみも消えない。
(三) 損害額
別表記載のとおり。
補充説明
Bにつき
(1) 原告は、中学卒業後事故時まで、
母馬場フミの経営する理髪店で理髪師として働き、事故当時は三万円の月給を貰つていた。
(2) しかし本件受傷およびその加療ならびに前示後遺障害のため事故翌日以降理髪師として稼働することはまつたくできず、現在に至るまでの間前記月額割合による収入を失つた。
(3) すると原告主張の期間に計一〇二万円の得べかりし利益を失つたものといいうる。
Cにつき
(1) 前出部位程度の重傷を蒙り、骨折部にはギブスを固定した。
(2) 後遺症が残り、受傷位が頭部であることおよび症状固定したことよりこれの全治する見込みはない。
(3) 永年理髪師として経験をつみ将来は母の理髪店を継ぐ予定であつたが、後遺障害のため理髪師としての働きが不能となり、現在は転職をめざして鍼灸学校に通う身となつた。
(4) アマチュア競輪選手であり、また独身であるが、競輪は不能となりまた障害の身では結婚にも差支える。
(5) 以上の事実によると原告の慰藉料は金二一〇万円を正当というべく右以下である原告主張額はたやすく肯認できる。
四、運行者免責の抗弁
被告運転者宮本に過失があり肯認できない。すなわち、
(一) 事故の具体的態様
事故車は南北青信号で交叉点に入り右折のため交叉点中央附近で南行車の通過を方向指示器をあげて待機し、南行車群後尾のブルーバードが通過し終り南北行が青点滅信号となつたので、右折を開始した。そして事故車が国道一号線センターラインよりやや東へ車首を出したとき宮本が右道路北方をみると、事故車位置より北約23.5米の地点を南行する競輪用自転車が認められた。しかし宮本は南北は青点滅であるから自転車を運転する原告が交叉点に進入することはないとし、自車を自転車より先に通過し了えるものと思い、そのまま右折をつづけた。ところが交叉点より東へ延びる道路上横断歩道(交叉点すぐ東)を南より北へ歩いて横断中の小学校五・六年の児童があつたので宮本は児童を先に通過さすべく、右横断歩道の一部に車首を乗入れ車体大半を国道一号線車道において一時停止した。右停止に接着する直後、事故車左側面と原告自転車前部とが衝突した。原告自転車は交叉点北方より衝突時点まで全力疾走のままであり時速は約四〇キロであつた。
(二) 被告運転者宮本の無過失
認められない。すなわち宮本は、交叉点を右折するに際し、猛スピードで南行直進中の原告競輪自転車を自車の北方23.5米の地点で現認したのにもかかわらず、南行自動車団が通過を了したことと、右自動車群より距離を離された南行車が自転車であることより、当時なお青点滅信号であつたから直進する原告自転車に優先通行権があるのに、同車を軽視するの余りその優先通行権を無視して同車の通過をまたずに右折を図つたものであり、過失を免れ得ない。なお前に示した原告自転車の位置および速度ならびに南北の横断歩道上に歩行者の存在したことならびに青点滅信号持続時間が2.5秒であつたことより衝突時の南北信号は青点滅の末頃ないし黄であり赤ではない。
証人<略>は、原告自転車が前示認定の地点より交叉点のもつと北方にいたとか、衝突時は南北赤信号であつたとか口をそろえて証言するが、右証言は事故直後の記憶の新鮮な時点で、しかも宮本のみが立会つて利害対立者たる原告の立会なくなされたいわば宮本に有利な実況見分の説明と異るうえ、横断歩道歩行者が南北赤信号を無視していたという事実は事故直後の段階では宮本も蝶野もなんら供述せず後になつて言い出したことにすぎず、結局前出各証言は信用できない。
五、原告の過失=過失相殺
原告は、日曜日であつたから他の曜日に比して若干交通量閑散であつたとはいえなお国道一号線という幹線路のしかも市街地を、ヘルメットをかぶつて競輪競走の際にとる下向きの姿勢で時速約四〇キロの全力疾走を続け、かつ交叉点のはるか手前で一時顔をあげて前方をみただけでその後は進路前方の交通状況・信号・道路上障碍物等の注意ならびに確認を一切怠つたままうつむいて走行を継続し、それが衝突の直前であつたとはいえ既に一時停止している事故車の左側面の中央より後の部分にほぼ直角に衝突したものであり、その過失は極めて大きい。
右の原告の過失と前出被告運転者宮本の過失とを対比すると、原告の蒙つた損害の負担割合は原告七対被告三といわざるをえない。
第六、結論
すると被告は原告に対し主文第一項掲記の交通事故損害金およびこれに対する右損害発生後であること明かな昭和四一年二月一日より右完済まで年五分の遅延損害金支払義務があるものというべく、原告の請求を右の限度で認容しその余を棄却すべく、民訴法八九条・九二条・一九六条を適用のうえ主文のとおり判決する。(今枝孟)
別 紙 損 害 表(円)
原 告 主 張
認定
A 療養費
1関西医大入院治療費
50,160
50,160
2北野病院通院 〃
13,873
13,873
3山本眼科〃 〃
1,000
1,000
4京大病院〃 〃
3,625
3,625
B 逸失利益
1,020,000
1,020,000
C 慰藉料
1,000,000
1,000,000
計
2,088,658
2,088,658